「百聞は一見にしかず」。現在、インターネットの普及で全世界のあらゆる情報が簡単に机上で入手できるようになった。しかし、現地に赴き、自分の目で見る、まちの雰囲気を身体で感じることが、1番の勉強になる。
行政視察は、議員としての重要な活動の1つだ。私が経験した視察の中で特に印象に残った場所は沖縄である。沖縄は、第二次世界大戦において日本で唯一、地上戦が行われたところ。戦没者は約20万人に上り、その内住民が約9万4千人、実に県民の2割が犠牲になったのである。更に現在においても「基地の島」と呼ばれており、県の面積が日本全土の0.6%でありながら、日本にある米軍基地の75%が沖縄に集中している。まちの中心部の広大な平地に4,000メートル級の滑走路2本を備え戦闘機が離発着訓練を繰り返している嘉手納米軍基地を高台から眺め、また日中耳をつんざくばかりの爆音とともに軍用ヘリが行き交う。 市民生活に及ぼす影響は多大だ。
これが本当に戦後60年、平和国家日本の姿なのかと目を疑った。今、イラクや北朝鮮問題等を通して国際社会の中で日本が果たす役割について議論がなされ、更に戦後60年の節目を迎えて、今後の日本の道標となる憲法改正問題がクローズアップされている。憲法改正となると国民投票となり、私達1人ひとりが自らの責任で権利を行使しなければならない。
私を含め、戦争を知らない国民が大半を占める今、国民1人ひとりが戦争の真実を学び、子々孫々まで持続可能な日本の将来について真剣に向き合わねばならない時期にきていることを認識した。
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沖縄の地にて平和を思う
交通まちづくり
増え続ける車、自動車は現代人の夢を実現した。いつでも、どこへでも自由に早く行き着くことができ、人の行動、そして物流をこれほどの広がりで解き放った乗り物は今までかつてなかった。自動車は20世紀の技術が人間に与えてくれた最高の贈り物だと言われたこともあった。
ところが、21世紀を迎えた今、まちは車であふれている。これによってもたらされた環境汚染や交通渋滞、交通事故、さらには物流や人的交流の停滞による経済競争力の低下、中心商店街の衰退等の負の遺物に、私たちは今、健康で安全に生きるために、自動車の利用を減らし、環境に優しく、渋滞や事故のない、人が歩き・集える安全で移動しやすいまち、すべての人が利用しやすい公共交通が整備されたまちを目指し真剣に考えなければならない。幸いにも、松山市は築城 400年を誇る松山城を中心とし、街路が機能的に整然と区画され、官公庁や金融機関、商店街、医療機関、更に子規や漱石等の文化人のロマン漂う足跡が残る史跡が集積し、それらを線で結ぶように路面電車やバスの公共交通が走り、更に起伏が少ない地形は徒歩や自転車での移動にも適した都市形態である。
私は、交通政策をまちづくりの1つの柱として捉え、行政機構の中で従来の交通行政の縦割りを是正し一本化して扱う総合交通課の新設、四国初のオムニバスタウン、まつちかタウンのバリアフリー化推進等に積極的に関わりを持たせて頂いた。
のびのび元気な人づくり
松山海洋少年団は、昭和43年発足。現在小学三年生から高校三年生迄約40名の子ども達が活動しており、私は父母の会でお世話をさせて頂いている。四方を海に囲まれた海洋国日本、古来わが国は、外国との交易、魚介類や天然資源等、海から数々の恩恵を受けてきた。
海洋少年団は、万物の母なる海を舞台として、手旗信号、水泳、ポート等の海洋訓練、海浜清掃や災害復旧等の奉仕活動、国際交流など多様な体験活動を通じ、海洋に関する科学的知識・技術の習得や環境保全等の地球規模の課題への取組、社会生活に必要な徳性の涵養を深めることにより健全な人格の育成を目的としている。
昨今の少年犯罪の多発・凶悪化は、親、兄弟、友達等とのコミュニケーション、憤りや不満をコントロールし、それをいかに自分の成長につなげるかの手段を持っていないことに起因するものである。一方、海洋少年団での団体生活では、厳しい規律のもとで躾を身に付け、礼儀を教わり、友情を育み、そして団結心を養うのであるが、これらの教えは、その後の人格形成にも大きく影響してくるものである。事実、海洋で育った子ども達は、皆、元気にすくすくと育ち、希望の進路にも進み、現在多くの人材が社会の第一線にて活躍している。そのことを考えると、少年時代に経験した団体活動への参加は青少年教育の大きな柱と言える。
私は、海洋の活動を通して、21世紀を迎えた今、日本人の心から忘れられようとしている躾と礼儀の尊さ、大切さ、有意義さを改めて見直し、その心を取り戻すお手伝いができればと願っている。