真夏の夜の夢、各地域で夏まつり、岐路にたつまつり
子どものころ、夏になれば、両親に浴衣を着せられ手を引かれ、地域のお地蔵さんの夏まつりに連れて行ってもらった。おめん、金魚すくいや綿菓子等夜店の賑わいや盆踊りの懐かしい風景が、毎年お盆時期になれば必ず、セピア色の思い出として甦ってくる。
年々都市化が進み郊外に居を移す方が多くなった市内中心部では、地域の繋がりが薄れ、また子どもの数も激減し、昔のように夏祭りで浴衣姿の家族連れを見ることは非常に少なくなった。
松山では、三津の花火大会、松山まつり、そして夏の終わりを告げる日切り地蔵まつり(お日切りさん)等、時代の変化、また観光的な要素も加味して、年々、華やかに、賑やかになってきている。
私は、松山まつりの野球拳踊りに毎年参加している。ちなみに野球拳は、大正13年、伊予鉄の野球チームが高松遠征で敗戦後、夜の宴会での余興で、川柳家でもあった前田伍健氏が即興で作り披露したのがはじまりで、その後、欽ちゃんのコント55号により大ブレーク。
最近、札幌のよさこいソーラン踊り、高知のよさこい踊り、また県内でも宇和島のガイヤや今治のおんまく等、現代風、ロック調に曲をアレンジし、衣装も従来の法被や浴衣ではなく、専門のデザイナーが手がける。
先日、高知の知人とまつりについて談議する機会があった。
土佐のよさこいも、若い人や県外の人が多くを占める中、本来のよさこい踊りの原形を踏襲する部分が少なくなり、ダンス発表会になりつつあると憂えていたのが印象深かった。
時代とともに変えてもいい部分と、反面原型を守り、伝統文化として後世に伝えて行かねばならない部分も必要なのかなと思う